簡易裁判所の事物管轄の大幅な拡大に反対する会長声明 

現在司法制度改革推進本部司法アクセス検討会では、簡易裁判所の事物管轄の拡大について協議されている。そして、これに関連して、一部で事物管轄の大幅な拡大が提唱されている。

しかし、簡易裁判所の事物管轄の拡大は、以下のように簡易裁判所の現状からみて多大な問題を有する。

  1.  簡易裁判所の新受事件数(民事通常訴訟事件)は、平成元年から平成13年までの間に全国で約11万件から約30万件へと約3倍に増えており、また、民事調停事件の新受件数も、平成8年に約16万件であったのが、平成12年には約31万件に増加している。
     簡易裁判所の訴額の上限は、発足以来数次に亘って引き上げられてきたが、それは主に物価変動等の経済事情の変動によって、もともと簡易裁判所で扱うべき軽微な事件が地方裁判所に移ってきたので、それらを本来の管轄裁判所である簡易裁判所へ引き戻すために行われてきたものである。
     しかるに、昭和57年の90万円への訴額引き上げにより、簡易裁判所の事件比率が48.7%から昭和58年には61.3%へと増加し、平成13年には66.5%と昭和29年以来過去最高の水準にまで達している。
     これを静岡地方裁判所管内の簡易裁判所についてみても、民事通常訴訟事件の新受件数は、平成8年が約3900件であったのが、平成13年には約4500件となっており、民事調停に至っては、平成8年の新受件数が3343件であったものが、平成13年には10,335件と約3倍に激増している。(静岡地方裁判所に対する司法情報開示請求についての平成14年6月17日回答による)。
     したがって、現在、地方裁判所と簡易裁判所の役割分担の是正という見地からは、簡易裁判所の事物管轄を拡大する必要性は全く存在しない。他方で、簡易裁判所判事の定員は、平成元年以降806名のまま増員されておらず、簡易裁判所の数も昭和62年の法改正により135庁が廃止され、全国で438カ所に減少しており、事件の激増に見合う人的・物的手当はなされていない。このような状況において、さらに簡易裁判所の新受件数が増大すれば、早晩、簡易裁判所の事務処理が破綻することは必至である。
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  3.  現在の簡易裁判所においては、訴訟事件のうち72%の事件が金融会社による債権の取立訴訟であり、そのほとんどが訴訟代理権の許可を得た会社の使用人によって訴訟追行がなされており、簡易裁判所はいわば金融会社の取立機関と化している。
     簡易裁判所の裁判官、書記官らは、その事務量の相当部分をこれらの事件の処理にあてなければならないのが現状である。
     このような現状の中では、他の一般訴訟事件においても、せっかく用意された口頭主義などの簡易裁判所における特徴的手続きは殆ど活用される余裕がない。
     そのため、いわゆる「業者事件」以外の、一般市民の日常生活上の事件について、気軽に利用できる紛争解決機関という簡易裁判所の本来的機能への期待には応えられていない。
     このような現状に対する改善の方策として、新民事訴訟法では、「少額訴訟」の制度が設けられ、迅速な解決に資するための制度として平成10年より施行されている。さらに、一部の簡易裁判所では、「少額訴訟」の対象とならない事件についても、早期の解決を目指して運用上の工夫を加える試みも始まっているという(「準少額訴訟」)。
     しかし、少額訴訟も「準少額訴訟」も、早期の審理完了を目指すところから、事前の書記官らによる問い合わせ、主張の整理などの準備作業を欠くことが出来ず、簡易裁判所にとっては、十分な人的・物的・時間的余裕がなければ対応できない。
     このように、簡易裁判所の本来的役割を果たすべく始まった試みはこれからが本格的な取り組みを要すべき重要な時期であり、万が一このような改革が失敗すれば、簡易裁判所への期待は叶えられることなく終わることになる。
     このような時期に、簡易裁判所の事物管轄が大幅に引き上げられ、簡易裁判所の事件数が今以上に大幅に増加する時は、簡易裁判所は機能喪失の事態に陥る危険性が高い。
  4.  司法制度改革審議会の意見書は、法曹人口を増加させるにあたり、その質的な担保の面から、司法試験という「点」のみによる選抜ではなく法学教育・司法試験・司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備すべきであるとして、法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナル・スクールである法科大学院の創設を提起し、2004(平成16)年4月からの開校をめざして現在準備が行われている。
     しかし、簡易裁判所においては、簡易な事件を扱うことから、法曹以外の者も許可を受けて代理人となることができる。そして、前記のとおり、現状では簡易裁判所における訴訟事件の72%の事件が金融会社による債権の取立訴訟であり、そのほとんどが訴訟代理権の許可を得た会社の使用人によって訴訟追行がなされており、簡易裁判所はいわば金融会社の取立機関と化している。このような中で、簡易裁判所の事物管轄を大幅に拡大するということは、弁護士が関与しない企業の社員による訴訟追行拡大を是認することであり、いわゆる商工ローンの社員による訴訟などが激増することが予想される。比較的厳格な手続きの中で行われていたこれらの事件の多くが簡易裁判所で行われことになるなら、プロセスとしての法曹養成を掲げて訴訟追行する法曹の質を高めようとしても、このような努力は全く無意味になってしまう。
     また、簡易裁判所における訴訟代理権を付与された司法書士についても、訴訟追行業務を前提とした教育・訓練を受けておらず、代理権付与の前提とされた100時間研修が十分に機能するかは、今後の検証に待つ面があることは否めない。

いずれにしろ、法科大学院を設置し、真のプロフェッショナル法曹を養成しようという司法改革の理念からは、法曹が代理人とならない事を認める簡易裁判所の事物管轄を大幅に拡大することは、これに相反するものである。

司法制度改革審議会意見書も「軽微な事件を簡易迅速に解決することを目的とし、国民により身近な簡易裁判所の特質を十分に活かし、裁判所へのアクセスを容易にするとの観点から、簡易裁判所の事物管轄については、経済指標の動向等を考慮しつつ、その訴額の上限を引き上げるべきである。」としており、簡易裁判所の基本的性格・役割は維持した上で、前回の昭和57年裁判所法改正以降の経済指標を考慮した訴額の引き上げを求めているに過ぎない。したがって、経済指標の動向及び現在の簡易裁判所の物理的限界の範囲内の小幅なものにとどめるべきであって、司法制度改革の理念に反した事物管轄の大幅な拡大には強く反対するものである。

2002(平成14)年7月24日
静岡県弁護士会
会長 塩沢 忠和

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