- 岡口基一仙台高等裁判所判事(以下「岡口裁判官」という。)は,2021年6月16日に弾劾裁判所に罷免訴追され,同年7月29日に職務停止が決定された。その後,罷免訴追事件の審理は,2022年3月2日に第1回期日,同年11月30日に第2回期日が開かれ,2023年2月8日に第3回期日が予定される状況にある。 この弾劾裁判において岡口裁判官の罷免訴追の事由とされているのは,①性犯罪事案に関連するSNSやブログへの投稿及び記者会見や週刊誌のインタビューでの発言,並びに,②犬の返還を求める訴訟事案に関連するSNSやブログへの投稿である。これらの投稿や発言の中には,①に関して被害者遺族の心情等を害すると評価できるものや,分限裁判により戒告処分を受けた後のものもあり,岡口裁判官には,配慮を欠いた点があったことは否めない。 しかしながら,弾劾裁判は,裁判官の身分を奪うという重大な不利益処分の当否を審理するものであり,司法権の独立との関係において,十分に慎重な審理がなされるべきである。
- 憲法は,司法による権利救済や人権擁護が,他の権力からの影響を受けずに行われるようにするため,裁判官の職権行使の独立を実効あらしめるべく,裁判官の身分保障を特に規定した(憲法第78条,第80条第2項等)。 また,これを受けた裁判官弾劾法(以下「法」という。)においても,裁判官を罷免すべき事由は,「職務上の義務に著しく違反し,又は職務を甚だしく怠つたとき」(法第2条第1号)又は「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき」(法第2条第2号)に限定されている。この点,裁判官に対する罷免以外の懲戒事由は「職務上の義務に違反し,若しくは職務を怠り,又は品位を辱める行状があつたとき」(裁判所法第49条)とされており,裁判官を罷免できる場合は,他の懲戒事由とは明確に区分されて厳しく制限されているのである。 そして,岡口裁判官は,「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」(法第2条第2号)に該当するとして罷免訴追の対象とされているところ,過去に法第2条第2号に該当するとして罷免が認められた事案は,裁判官による収賄,盗撮,児童買春,裁判所職員に対するストーカー,虚偽の政治的録音の流布(いわゆるニセ電話事件)であって,いずれも悪質性の高い犯罪の成立が明白であり,又はそれに匹敵するような著しい不正行為と評されるべき事案であった。 これらの事案との比較において,岡口裁判官によるSNSへの投稿等の行為が,罷免に相当するものと評すべきかについて,きわめて慎重な検討が必要である。
- 他方で,岡口裁判官の罷免事由とされているSNS等での投稿等は,いずれも,職務外での私的な表現行為として,自身の感想や意見を述べ,又は裁判例を紹介するなどしたものである。これらに対して罷免という重大な不利益処分を科することの是非に関しては,市民としての表現の自由(憲法21条1項)との関係についても十分配慮すべきである。 また,岡口裁判官の罷免事由とされている投稿等の一部については,すでに二度にわたって裁判官分限法に基づく戒告の懲戒処分がなされている(最高裁判所平成30年10月17日大法廷決定,最高裁判所令和2年8月26日大法廷決定)。そして,平成30年決定の補足意見によれば,同時期までになされたSNS上での投稿も考慮に入れて処分がなされている以上,これらの事実について重ねて罷免事由とすることは,実質的な二重処分を意味する。 さらに,最高裁判所は,「裁判官について,弾劾による罷免の事由があると思料するときは,訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めねばならない」と義務付けられている(法15条3項)にもかかわらず,岡口裁判官について,最高裁判所は罷免の訴追を求めていないことにも留意する必要がある。 そして,本件における訴追事由の中には,3年の訴追期間(法12条)を経過したものまで含まれており,この事由が弾劾裁判において考慮されてならないことは言うまでもない。
- 岡口裁判官は,すでに約1年半にわたり職務が停止され,裁判官としての職務執行から排除されており,実質的に裁判官の身分保障が害される状況が生じている。 また,岡口裁判官が,職務外のSNS等による表現行為を理由として罷免されるとすれば,他の裁判官に対する萎縮効果も懸念される上,その身分保障が不安定となれば,いやしくもその良心によって職務を行うべき裁判官の独立が侵され,ひいては司法権の独立も侵されかねない。 当会は,弾劾裁判所に対し,裁判官の身分や職権行使の独立を保障する憲法の趣旨を最大限に尊重し,過去の事例との権衡や表現の自由との関係も十分に考慮したうえで,岡口裁判官の罷免訴追事件において,慎重かつ謙抑的な審理を行うことを求める。
2023年(令和5年)1月26日
静岡県弁護士会
会長 伊豆田 悦義
静岡県弁護士会
会長 伊豆田 悦義